グーテンターク!ベルリン観光・通訳ガイドの後藤裕起子です。今日もニュースレター「ドイツもこいつも」を開封してくださりありがとうございます。
このニュースレターでは、ドイツの国情やドイツに生きる人々の有様を、皆様にお届けいたしております。
本日のお題は、「あのビートルズをデヴューさせた町ハンブルク」でございます。
(内アルスター湖畔にそびえる立派なハンブルグ市役所)
ハンブルクのナイトライフ歓楽街で有名なレーパーバーン。このレーパーバーンの中に「ビートルズがデヴューした場所」が一つの観光名所になっております。洋の東西を問わず、老若男女も問わず、世界中に旋風を巻き起こしたビートルズ
1960年8月17日:The Beatles Yeaaaah ビートルズ・イェーィ ワールドワイドキャリアの始まり
ビートルズの本格的なキャリアは、1960年8月17日にハンブルクで始まりました。「インドラ」という主に売春婦とその顧客が頻繁に訪れた小さな劇場での舞台に登場し、同年10月3日を最後に、そこで合計48回コンサートを開いたそうです。
当時ハンブルクの大きな地区だったブルーノ・コシュミダーは、ナイトクラブで演奏してくれる英語の音楽グループを探していて、リバプールのビジネスパートナーにコンタクト。そこで、ビートルズを紹介してもらったそうです。ちなみに、ハンブルクでのバンドの勤務時間は平日4時間半、週末6時間でだったとか。。エキサイティングなコンサートだったようです。。
インドラの「ショー」
ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリソン、スチュアート・サトクリフ、そして数日前に採用されたドラマーのピート・ベストに「ショー」をするように頼み、ステージでワイルドな夜を過ごしました。
ベルリンの壁ができるちょうど1年前。東ドイツからから西ドイツへと亡命を図る人が軒並み増えていった、そんな世界中東西が緊張していた時代でした。
ドイツ国民は新しい文化の登壇を心待ちにしていたんですね〜。それまでは、主流であったのがクラシック音楽。音楽を長〜い間、専門的に勉強した人でなければ音楽を奏でることができなかったそんな時代。。そんな時に画期的な誰でも歌える歌を軽快なリズムに合わせて奏でていった彼ら。。民主的な考え方、イケてます
レット・イット・ビーが個人的には大好きでした。心にしみるあのロマンチックなピアノの和音を奏でる伴奏が、なんとも言えず、、、まるで私に語りかけてくれているような
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読者のあなたはどの曲が好きでしたか? ええ〜っ⁉️ まだお生まれになっていらっしゃらなかった Wow
では、そのビートルスの魅力をいち早く、見抜きマーケティングを開始したハンブルグとはどんな町なのか⁉️
ベルリンと比較しますと、歴史は古く、何と言ってもハンザ同盟の最盛期の「ハンザの女王」と言われていた時代には、リューベックに女王の座を譲っていましたが、なんのその、、リューベックの勢いが衰退していくと、すかさず、女王の座をゲット️
彼らは、ボヤボヤしていないんですね〜 (笑)
ハンブルクの位置は、エルベ川が北海に注いでいく、両岸に面した格好のロケーションにございます。
港町として、古くから発展して参りました。港町特有の発展の仕方をしてきたと思います。
ベルリンの街というと、やはり政治の街としての特徴があります。
とにかく新し物好きのハンブルグ。。ベルリンでは、だらしない格好をしていた方がベルリン子らしいオープンな気風を感じさせるものがありますが、反面ハンブルグの特にこの市庁舎近辺の高級ブティックが並ぶあたりなど、人呼んで、ドイツ語でいうところの格好つけている人のことを「シッキーミッキー」そのもの。。
しかし最近、頭から靴までのトータルファッションで歩いている人を見ることは減ってきましたね。ツーリストで賑わっている町角では、おしゃれというより機能的なスタイルの方が圧倒的です。コンサートも、もうとっくの昔にドレスコードなるものはなくなってしまいましたよ。ジーンズでもへっちゃら 寂しいものを感じます。。
ハンブルグは、6世紀には街としての名前が文献の上に現れ、ヴァイキングの襲来も受け、デーン人・スラブ人からも襲撃されるそんな中世時代を送りながらも、リューベック・ブレーメンとハンザ同盟を結びビジネスの安全性を保っていきました。
16世紀に入りルターの宗教改革が始まるや否や、カトリックからプロテスタントに改宗し、キリスト教の文化が花咲いていったのです。16世紀半ばには、ベルギーのアントワープのような証券取引所がおかれ、視聴者の裏側にその建物があり今でも当時の繁栄を偲ぶことができます。
音楽も盛んで、18世紀にはテレマン、JSバッハの次男カール・フィリップ・エマヌエル・バッハがハンブルク市音楽監督を勤め活躍していました。その後19世紀に入ると、作曲家メンデルスゾーンやブラームスもハンブルグで生まれています。メンデルスゾーンも、ドイツでも大変人気のある作曲家です。彼のお父さんは、ハンブルグの銀行員。ナポレオンが攻めてきたのでベルリンへ引越しをします。
ドイツの北の玄関口、ハンブルグ。ハンブル港は欧州で2番目に大きな貿易港です。一番は、どこかご存知でしょうか?ピンポーン、そうですね〜ロッテルダムです。ライン川から北海に注ぐ湾岸に発展した街ロッテルダム。オランふだは、」読者の皆様のよくご存知のように、東インド会社なるものを作り、自らがプロダクトをするというのではなく、日本語で言うところの、中継ぎ貿易の国。
現在、コンテナの数では、世界1の規模を誇るドイツの北の玄関ハンブルグ港
(昨年の世界ロータリークラブハンブルグ大会のご出席された日本のグループの方と一緒に視察した時にゲット)
ハンブルク港では、コンテナの取り扱いに重点が置かれています。トンベースでは、これは総スループットの約3分の2を占め、9,400万トン弱です。ハンブルク港では、一般的な荷役に占めるコンテナ取扱の割合(いわゆるコンテナ化の程度)が98%を超えています.
とにかく、半端を嫌う町がハンブルグ。
ここに2017年、エルプフィルハーモニーというコンサートホールができました。
エルプフィルハーモニー の建物は、まさにエルベ川に面しており、規模は欧州1、多分世界一なのでは??
エスカレーターで上に上がっていきますと、そこには、ハンブルグの港が眼前に広がって参ります。
絶好のリンクがございますので、宜しければクリックしてみてくださいね。超 COOL
https://www.elbphilharmonie.de/de/
ご覧いただきましたでしょうか
ハンブルグは、クラシックのみならず、ジャズ、ポップスの他にもミュージカルの街としても有名 なので、このエルプフィルハーモニーでのプログラムは多彩です。
このエルプフィルハーモニーもこんな大きなコンサート会場ですので、建設の途上では資金が足りなくなり市長さんのシュルツさんは大変な資金繰りで頭を痛めていましたが、どうにか完成
ちなみにシュルツ氏は、その後ドイツの大蔵省の大臣になられました。。陰徳あれば陽報ありってなわけで、、。
そこに目をつけるなんて、民主的ですよね。。
しかもこの地域は、ハンブルグではリッチな立地にある場所ではなく、倉庫街のど真ん中。ベルリンの壁の崩壊の前から街の活性化をプロジェクト化して何とか立ち上がらせようと、尽力していた地域。よくぞここまで、、と頭が下がります。ベルリンの壁とどんな関係があるのか?直接関係がありませんが、ドイツ人は、一つの時代の区切りとして、「ベルリンの壁の崩壊の前」と 「ベルリンの壁の崩壊の後」という言葉をよく使います。
だもんで、私もそれにあやかり、ちょっと格好をつけてみました🇩🇪
ハンブルクにおいて、もうハンザ同盟時代のビジネススタイルは、生きていないのかという私のお客様のご質問に答え、バスの運転手さんがおっしゃっていましたが、「まだまだドイツのビジネス上では、ハンブルクを始めハンザ同盟を結んでいた町同士は連携が固いんだよね〜。結束はまだあるよ。」とのお言葉。
歴史の上に歴史を築いていくドイツ人。欧州ではよく耳にする史観です。
こんな町ハンブルクが、ビートルズを生み出したとは、、。
読者の皆様、最後までニュースレター「ドイツもこいつも」お読み頂きまことにありがとうございました。
しっかり晩秋の色の濃いベルリン。朝夕は10度まで気温が下がっております。
Save healthy and I am looking forward to see you again
Best regards from Berlin
18回目のメルマガでお会いできて感激です。
また次回もお立ち寄りいただければ幸甚です。
ありがとうございました!
ベルリン通訳ガイド 後藤裕起子