お任せ下さい!歴史の舞台に立ち、素晴らしい文化を誇る東ドイツの観光ガイドなら - マルティンルター & バッハ アイゼナッハ の町
お任せ下さい!歴史の舞台に立ち、素晴らしい文化を誇る東ドイツの観光ガイドなら - マルティンルター & バッハ アイゼナッハ の町
🇩🇪 メルマガ「ドイツもこいつも. . . 」No.136

ベルリン通訳ガイドの後藤裕起子です。今日もメルマガを開封して頂きありがとうございます。
さて、本日のお題は、「お任せ下さい! ドイツの歴史文化の宝庫を誇る東ドイツの観光ガイドなら。マルティンルターとバッハにスポットを置いた、アイゼナッハの町」でございます。
2001年から4半世紀の間、お客様のご希望に極力沿った旅行プランをお作りさせていただいて参りました。二つと同じプランが無いのが不思議なんですね〜。
同じベルリン1日観光でも、また、足を伸ばしてライプチッヒやドレスデン、ワイマールやアイゼナッハ、また北東ドイツのオストゼーをご訪問いただいても、お客様のご希望は十人十色違いますので、お食事のご趣向に至るまで事前のチェックは外せません。
ここ数年、ビジネスで御来独されましたお客様も、20年前に比べると、ダンチで、ドイツの国の歴史文化の修得に余念がなく、ありがたいことに、一生懸命ガイディングを聞いてくださっています。
AIに仕事を取られることもなく、人間をドカンと真ん中に据えた、観光ガイドは、他に何も取り柄のない私ですが、これだけは、誰にも負けない!と自負いたしております。💖
ベルリンは、この東ドイツの真ん中にあるので、ベルリンを中心に東西南北の東ドイツ・旧のDDRと言われたところを簡単に訪れることができます。ドイツ鉄道でも、お車でも、またじっとしているのはもったいない、と言う方には自転車ツアーもできちゃう。
さて、本日は、アイゼナッハのご紹介をさせて頂きますと、、
この街には、ドイツの古城でも現在も残っている1000年の歴史を物語る、ドイツでは一番古い古城で、ヴァルトブルグと言う名前のお城が高台に聳えております。
ヴァルトブルグ城は、何しろ1000年もの長い間、このお城で起きた歴史を、具にご覧になっているってなわけで、もう何度もお客様のお供としてお城を訪問しているものの、ガイドとして訪問すると、なんだか感動でゾクゾクいたします。歴史にそのまま触れることができる!
作曲家のワーグナーの有名な歌劇、「タンホイザーとヴァルとブルグの歌合戦」は、このヴァルトブルグ城に伝わる伝説と言われています。
中世のドイツには、騎士による吟遊詩人がいて、色々な場所を訪れ、作詞作曲をしていました。そしてその歌合戦が、このお城で行われていたのでした。その中でも最も有名なのが、ワーグナーのこの歌劇になります。
このお城のホールには、1800年代後半にフラスコがでこのタンホイザーの歌劇が描かれました。このホールに入ると、まるで自分が中世の時代にタイムスリっとして、立っているような錯覚さえ起こってくるんですね〜、
また、キリスト教の宗教改革を成し遂げたマルティン・ルターは、このお城に匿ってもらい、ヘブライ語とギリシャ語で書かれた旧約聖書を、ドイツ人にも理解できるように、ドイツ語で新約聖書を表しました。
また、ドイツ語も地方によって方言があるので、高知ドイツ語に独力で翻訳。1522年のことでした。
ここアイゼナッハにも、ルターが住んでいた木組みの家があり、見学ができます。
ところで、日本でドイツ人の普段の食事で、よく食べられているソーセージは有名ですよね。
ここチューリンゲン地方でも有名な、Thüringer Bratwurst というグリルにして焼いたソーセージが街の角角で売っています。ぷー〜んとあの焼きソーセージの香ばしい匂い!辛子と、ビールでぐっといけちゃいますね!! 思わず、食が進みます。。
おっと〜、ルターの高尚な話から、焼きソーセージに話が飛んでしまいましたね。。笑
さて、クラシック音楽ファンの方には、アイゼナッハを尋ねたら、バッハの生家を素通りするなんて、バチが当たる??
ヨハン・セバスチャン・バッハは、1685年にアイゼナッはで生まれました。家族・親族のほとんどは、このチューリンゲン地方で、オルガニスト、街の音楽家、宮廷音楽か、楽器製造者と、、 音楽に従事していました。
バッハという名詞は、日本語に訳すと小川さんになります。ヨハンセバスチャンバッハは8人兄弟の末っ子で、子供の頃早くに両親に死に別れた後は、長男に面倒を見てもらうようになります。
10代から教会のオルガニストとして働いていました。
バッハの活躍した初期の頃、北ドイツでは、オルガン演奏が盛んで、有名なオルガン奏者たちの元へ見習いに行く、そんな習慣があったそうです。
15歳の時に、ヨハンセバスチャンバッハは、リューネブルグの教会へ、20歳の時には、リューベックのマリン教会へ、有名なブックステフーデの演奏を聞きに行きました。
リューベックでは、あまりにも、情熱的にオルガンを弾く、オルガニストに魅了されたバッハは、故郷のチューリンゲンへ帰るのを忘れ、帰郷は延期のまた延期。。一時は、免職になるほどだったそうですが、どうにか免れた?!ようです。ちなみに、この当時は、馬車に乗るか、自力で歩いていくか。400Kmの道のりを歩いてリューベックに行ったとのことです。 🤔
昨日ちょっと余計に歩いたから、足腰が痛いなんて、言っていられない。
wow 🤣
これだけの深い情熱が、きっと人生を大成に導いていくんですね〜。Never Give up!
この後、バッハはどうなったのか??
アイゼナッハから、アルンシュタット、ワイマール、そしてザクセンアンハルトのケーテン、ライプチッヒへとバッハの成長の軌跡は続いて行きます。ヨハンセバスチャン・バッハは、生涯この東ドイツの領域から出ることはなかったのです。
反対に、ヘンデルは、同じように、1685年にライプチッヒの近くのハレで生まれました。弁護士にさせたいと思っていたお父さんの意に反して、音楽の道を選び、イタリアでオペラを作曲上演し、後にイギリスで大活躍し、最後は国葬としてウエストミュンスター教会に葬られたのです。
バッハの場合、ヘンデルのような華やかな人生ではなかったかもしれません。
ヨハンセバスチャンバッハには、20人子供がいて、バッハの音楽はさらに発展した形で、子弟に受け継がれています。3男のクリスチャンバッハは、それこそ、モーツァルトが大変に大きな影響を受けた音楽家でした。
100年後に、メンデルスゾーンやシューマンにより、彼の秀でた音楽的な価値が、世の中に広く認められました。
そして、現在では、世界中の人に愛され、宇宙に響く音楽として、人々の心を捉えて離しません!!
読者の皆様、本日は、アイゼナッハの巻でした。
ヨハンセバスチャンバッハの別なエピソードは、またの機会に触れさせてくださいね。
(この画像は、ヴァルトブルグ城で、ルターが聖書を翻訳していた時に使用していた椅子と机。学校の椅子と机そっくりじゃございません?モデルは、ここから来ているのかも。。)
文化の町、エキサイティングな町ベルリン。ベルリンガイドを承っております。お気軽にお声をお掛けください。心よりお待ちいたしております。本日も、最後までお読み頂きまして、誠にありがとうございました。
SEE YOU SOON💙
Best regards from Berlin
ありがとうございました!
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